いつのまにか

最近長文を読む気がしなくなり、短文に親しむようになった。短歌、俳句、詩。万葉集がこんなに新鮮でミルフィーユみたいで複雑なのにサラッとしているなんて驚き。掘り起こした宝物。芭蕉、蕪村、一茶から俳句の門を少しずつ入っています。いま時々かいているのは俳句なのか川柳なのか何者かわからない。書きたい様なのでとりあえず作り方の基本だけは習っておこう。詩もいい。こちら側に想像させてくれて余韻をくれるゆったりした世界ならなんでも今の私にぴったり来る。つくづくいい世界に出会えて嬉しい。久々のワクワク。

2018年

あけましておめでとう。父は年末にショートステイを希望して春まで過ごすことになりました。とても明るく綺麗なところで気に入りました。父と私とで軽いお正月お膳とお屠蘇をいただきました。好天でいいお正月です。無人のお正月となった実家にもよりご挨拶しました。娘としてはほんとうにホッと安心です。昨年は父の言動に振り回されただけでおわりましたが、今年はそれを踏まえて、父の気持ちをしかとみながら明るく元気に付き添って行きたいです。父は家に1人でいるよりも少し家から離れて過ごす方がいいように思います。これからどんな変化があるか、とても楽しみ。

 今年はそれ以外にもとても気持ちが明るく軽く幸せな新春です。こんなにゆったりのんびりしたお正月は子供の頃以来ではないかしら。ほんとにありがたいなあ。自分が安定してきたからなんでしょうね。今年は、欲張らず慎ましく節約を心がけながらゆっくりすごしていこう。心の平穏、父の平穏、皆さんの平穏、世界の平穏。

うち

みな、東京だの石川だの新潟だの美術館だのよく出かける。私とて中之島だの神戸だの奈良だの京都だの姫路だのとでかけないわけじゃない。でも今は自分ちが一番。家でネコと一緒に過ごすのが一番。ネコと戯れて過ごすという意味じゃない。同じ空間にいて好きに過ごすということ。特に何も要らないんだよね。本読んだり俳句や和歌を読んだり外を眺めたりドラマを見たり。この空間にいることが至福。何という幸せ。寒い日にわざわざ出かけてなんて行きたくない気分。ただ好きな場所には行きたい。知人と会うのもあまり要らないくらいだ。

これがワガママってやつかな。幸せ独り占め!

年の瀬ですね

父の付き添いを半年やっただけで心がズタズタになり発狂しそうになっていっさいから手を引いて過ごしたこの2ヶ月。母の命日を機会に久しぶりに実家にいった。話はしないし、できない。仏壇に手を合わせ父の晩御飯を簡単に作り30分で出てきた。精一杯。

 父親の介護で苦労した先陣たちの話、住職の話、知人の話をたくさん聞いた。同じだった。みなさん苦労は同じだったんだ。でも私の父はかなり酷い、と自分に同情したくなる。そういうことは客観的に無駄なんだなと感じた。同情したからなんになるか。なんにもならない。

 こうしてあげたい、ああしてあげたい、そんな自己満足が空回りしていた気もする。そうじゃなくて、相手が本当にしてほしいこと、困っていることをよく見て、あるいはじっくり観察して引き出してあげるのが本筋なんだろう。

 そもそも相手のことなどどんぴしゃりとはわからないもの。ただ目の前のことを心をこめてやるだけ。ほんとはそんなものじゃないのかな。足しもしない差し引きもしない。ただ目の前にあることだけ。それでいいんだと思う。

 多少部屋が汚れていても、今はいいというならそれでいいんだ。もっと片付けたら快適なのにと思っても、今はいいというならそれでいいんだ。

 気持ちを切り替え、前を向いてまた父の様子をみに行く日々は無事に再開できた。自分の気が治り安心した。棘だった不安からやっと解放された。いやなものだった、自分の家族、自分の父親を避けることは。残像だけで生きると思いだけが良くも悪くもとんでもなく巨大化して襲ってくる。余計に苦しくなる。

 淋しいだろうが、まだまだ元気。相変わらず勝手気儘言いたい放題。つまるところ本格的介護はまだまだ先。ありがたいこと。ご先祖様、天国の母、いろいろありがとう。私も、必死になる悪い癖を治そう。

いい朝です

 こんな朝を迎えることができてなにより感謝です。今日も穏やかに1日が過ぎ布団に入れますように。

 最近は、今日のお日様と裏腹に殺伐とした世の中。あした生きて目覚めることができるかなと真剣に思うことがあります。穏やかにならんかなあ。

 元気を回復してきた父をみてよかったなあと思います。美味しそうな食べ物、素敵な服、可愛い小物などをみたら欲しいなと物欲が揺さぶられます。ほんとに欲しいものは実はそうじゃないのですよね。やはり家族の健康や安泰、心の安らぎ、世界の安泰、人々の笑顔よね。そして、一番大切なのは、自分のしあわせ、自分の心の安心じゃないかなと思います。

 神様にいただいたこ尊い命と肉体が楽しんで笑って頑張って、生き切ったところでお返しする。このごろそれを考えます。神様だって激しい人生みたいですから、私たちもそれでいいのじゃないかな。

 そういうことにやっとこさ気づいたところ。

 今日もよい1日をお過ごしください。

もどり夏

台風のあとのすがすがしさ、生きている喜びを全身で感じることができます。度がすぎると大変なことになります。自然のさじ加減はまことに微妙なもの。人間はなすがまま。

 ここ2カ月ほど実家を行き来してちょっと慌たゞしかったので、嵐の後のこの夏日は鈍った感覚をシャッキリ気づかせてくれます。父の体調が安定し、気持ちも少し上向きになったような気がして洞窟を抜け出したかな。油断はできませんから手放しでは安心できませんけれどね。

 怪我の功名か、何年も冷戦状態だった姉とまた昔のように温かい交流が復活しました。これもどれほど私の人生に勇気と希望、真の平和が訪れたかしれません。神様、仏様、ご先祖さまに手を合わさずにはおれません。

 曇りのない晴れやかな天気は、そんなことまで私たちに与えてくれるらしいです。

 ずっと先の未来も大切。私たちが普段必要な範囲はちょっと先、くらいまでがちょうどいいんじゃないかな。2、3日先、長くて1週間くらい。それ以上は心配と不安にかわる。

 今日この日はここにあります。今、自分が「しあわせだな」と感じることが実は一番大切だろうと、やっぱり思うわ〜。だから感謝できるんでしょうね。

 いま平和に過ごしています。ありがとう。