やめて行く人

比較的打ち解けていた人が来週でやめていきます。確かに彼女のポジションは特殊で違う辛さもあったと思います。あそこがダメ、ここはそうじゃなくて、上の人があのままではムリ、もっとこうすべきなどなど履いておられます。正しいこともあるけど見苦しいです。自分以外、自分の周囲ばかりを批判しているのはバランスが悪いですね。本当の辞め方はそうじゃないんじゃないかしら。彼女は合わなかっただけ。だから感謝を残して静かに姿を消しましょう。痛々しくて、これからの1週間はこちらが気を使いそうなのです。

掃除は語る

うちの両隣りはお店屋さんです。片方は大手ハンバーガー屋さんで空き時間によくポリ袋片手にゴミ拾いと見回りみたいなことをしてらっしゃいます。いつもキレイですっきりしていて備品の破損も見たことはありません。もう片方には地域ではそこそこしられている鉄板焼き屋さん。客寄せの回転灯は潰れて傾いたまま、コーヒーの空き缶が何個も散乱、小さなゴミはそのまま、捨てられたマンガ本が半年以上雨ざらし、植木は歩道にかかるほど伸び放題など。非常に対象的だなあとみています。パリッ、と、ヨレヨレ。

特別のパン屋さん

帰り道と逆方向にあります。私が一番好きなパンがそこにあります。職場の帰りは海の絶景が待つ坂道。その魅力に打ち克つとそこに行くことができます。コーヒーのサービスもあり仕事帰りのひと時がキラキラ輝きます。今日久しぶりによりました。あの大好きなパンの味と香り、そしてコーヒーが目一杯迎えてくれました。しあわせ。

忍耐力

前回の職場でがまんというものをとことん骨の髄まで舐めつくしました。もともとが我慢がたらない性格だたのでいまやっと人並みになったところなのかもしれません。今の職場でもあたらでもこちらでも不平不満がくすぶっているようです。聞いてみたら、え⁈ その程度? というものばかり。ひょっとして全職場は修羅場だったのか。いま私は極楽みたいです。

いちにち

若い頃はモノやコトの連続のように毎日が流れそのように過ごしていました。今の自分はそうじゃないなあ。死がグッと身近になったせいでしょうね、一日一日がわりとはっきりしているような感じ。ここ数年とくに自分の生き方が変わってきているというのもあるでしょう。ずいぶん濃さが違うものですね。高齢の父との関係はまた私の人生に新しいドアを開けました。いろいろだがなんとかなる、そうしたものかな。