年の瀬ですね

父の付き添いを半年やっただけで心がズタズタになり発狂しそうになっていっさいから手を引いて過ごしたこの2ヶ月。母の命日を機会に久しぶりに実家にいった。話はしないし、できない。仏壇に手を合わせ父の晩御飯を簡単に作り30分で出てきた。精一杯。

 父親の介護で苦労した先陣たちの話、住職の話、知人の話をたくさん聞いた。同じだった。みなさん苦労は同じだったんだ。でも私の父はかなり酷い、と自分に同情したくなる。そういうことは客観的に無駄なんだなと感じた。同情したからなんになるか。なんにもならない。

 こうしてあげたい、ああしてあげたい、そんな自己満足が空回りしていた気もする。そうじゃなくて、相手が本当にしてほしいこと、困っていることをよく見て、あるいはじっくり観察して引き出してあげるのが本筋なんだろう。

 そもそも相手のことなどどんぴしゃりとはわからないもの。ただ目の前のことを心をこめてやるだけ。ほんとはそんなものじゃないのかな。足しもしない差し引きもしない。ただ目の前にあることだけ。それでいいんだと思う。

 多少部屋が汚れていても、今はいいというならそれでいいんだ。もっと片付けたら快適なのにと思っても、今はいいというならそれでいいんだ。

 気持ちを切り替え、前を向いてまた父の様子をみに行く日々は無事に再開できた。自分の気が治り安心した。棘だった不安からやっと解放された。いやなものだった、自分の家族、自分の父親を避けることは。残像だけで生きると思いだけが良くも悪くもとんでもなく巨大化して襲ってくる。余計に苦しくなる。

 淋しいだろうが、まだまだ元気。相変わらず勝手気儘言いたい放題。つまるところ本格的介護はまだまだ先。ありがたいこと。ご先祖様、天国の母、いろいろありがとう。私も、必死になる悪い癖を治そう。