涼しい朝

公休を風邪で過ごし今日はまた仕事。いつもながらなかなかだるい気分。ほんとに慣れませんね。焦らず徐々に慣れていこう。たった三日の休みですが一年くらいの感じがします。そういえば、いろいろあって辞めようかと考えていた同僚がいたなあ。どうなったかしら。持ち直しているでしょう。ボロボロだった外出計画もなにやら炎上気味でしたがどのように収拾ついたでしょう。寝かせることができるのは非常に助かっているな。朝行って夕に帰る。それだけだね。

万葉集

ほんとに自然と馴染んでいるなあとしみじみ感じます。自分の今の生活はどうだろうか。海、空、風や雨、季節、花や草木、季節の行事、……身近な姿をさらっと見ているだけなんじゃないだろうかっいう気がする。私も和歌や俳句をやってみようかな。自然と一体感を味わえるかもしれない。自然が身近になるかもしれない。未知の世界に出会えるかもしれない。日本人の自然との距離、アプローチの仕方がなんとも優しくて読めば読むほど好きになってしまう。登山やハイキングのようなアプローチもいいけど今の自分とは少し違う。ターシャテューダーのようにどっぷり浸るパワーは持ち合わせていない。昔から馴染みのある万葉集なら親しみがあり近づいていけそう。50を過ぎるといろんなものが変わっていく。鉄火だった若い頃とちがいスローで間口が広々したものへとシフトしていくようです。それはまた新しい世界への扉のようでワクワクします。

ツタンカーメン

馴染みすぎではあります。年と共に王の印象がかわります。今は不遇の王という印象です。数年前片足に骨の異常が発見され歩くのも大変だっただろうと学者が話していました。からだにハンディのある人だったのでしょう。お父さんがものすごい変革者でかなり強引に国を作り変えたカリスマで、お母さんは今も賞賛される大変な美女。家族像の中に男の子がいない。後継である男の子がそんな扱いを受けるでしょうか。政務につけない理由から表には出さなかった、または手元に置いておきたかったのかもしれません。ひょっとしたら知能の発達ににも問題があったかもしれません。男の子は、お父さんが行きすぎた政治をした天罰を請け負ったのかもしれません。美しい妻は王である夫を止めることはできずただ横で静かに寄り添うしかなかった。あの黄金のマスクは神様が不遇な男の子に送った最高のマスクとなりました。そこには父と母、兄妹の家族の愛も込められているんじゃないのかな。

バタンキュー

風邪をひきました。仕事中どんどん悪化していき熱、咳、だるさがおそってきました。帰宅したら軽くシャワーをなんとかあびて朝の7時まで寝込みました。鼻水と咳がすごいけれど起きていられます。ありがたいわあ。3日休めるので回復してくれるかな。インフルエンザで休んでいる知人もいて用心、用心。

おばさん

苦手です。私はおばさんです。でもあのしゃべくり、ムダ愚痴垂れ流し、人の話聞かない、自分が喋るのみ、喋りの権利奪い合い、愚痴の多さ。どんどん話題がかわる、必死、など。賑やかなどというレベルかな。

曜日感覚

正社員を止めると自分に時間軸がうつります。自分の必要に応じて行動し日々をすごすうちに今日が何日かという感覚があっても何曜日かと言う感覚が最近とても薄れているなあと感じることが多いです。